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長野地方裁判所松本支部 昭和38年(モ)69号 判決 1963年11月27日

債権者 小松とし子

債務者 松本電気鉄道株式会社

主文

債権者小松とし子、債務者松本電気鉄道株式会社間の当裁判所昭和三八年(ヨ)第一七号仮処分命令申請事件につき同裁判所が同年六月五日なした仮処分決定はこれを認可する。

債務者の右仮処分に基く執行の停止を求める申立は却下する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

債権者代理人は主文同旨の判決を求め、その理由として、

「一、昭和三八年五月三〇日午後六時頃塩尻市大門八〇四番地先県道路上(以下本件事故現場と略称する)において、債務者会社の仲町行バスが故障のため停車していたところ反対方向から進行してきた同会社運転者三浦敏道の運転する同会社所有にかゝる西条行バス(以下本件加害自動車と略称する)が同所において停車した。その際右加害自動車の乗車口の扉が開かれたので債権者はこれに乗車しようとして右自動車の乗車口において車掌大下よし子に対し乗車したい旨申し出たが同車掌はこれを断りそのまゝ右自動車は発車した。これがため債権者は右自動車に接触してその場に転倒しその後輪に轢かれて右側下腿複雑骨折及び大腿骨下端並膝関節開放性骨折、右側下腿挫滅創、左側下腿挫滅創の傷害を蒙つた。

二、右の事故現場は幅員五・九米の道路であつて、本件加害自動車の幅は二・四五米であり、しかも本件事故当時人通りも多く、反対方向に進行するバスが故障のため停車中であつたから本件加害自動車の運転者たるものはこれが離合のため発進するに際してはバツクミラー等によつて本件加害自動車の側面の安全を確認し、或は車掌をして側面の安全を確認させた上発車すべき義務があり、また車掌たるものは本件加害自動車の側面の安全を確認した上発車の合図をなすべき義務があり、もし危険の状態にあるときは直に停車の合図をなすべき義務があるところ、本件加害自動車の運転者三浦敏道及び同車掌大下よし子は右義務を怠り漫然本件加害自動車を発車させた重大な過失により本件事故を惹起したものである。

三、債務者は本件加害自動車を自己のため運行の用に供するものであり、且つ運転者三浦敏道及び車掌大下よし子を使用しているものであるから本件事故により債権者の蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

四、債権者は前記傷害により入院治療四ケ月、通院治療二ケ月を要する見込みであつて現在なお塩尻病院に入院加療中である。したがつて債権者はこれが治療のため別表二のとおり入院治療費等の支出を余儀なくされている。よつて右費用は本件事故により発生した債権者の損害と謂うべきである。

五、債務者は右費用の支払に応じないから債権者はその請求のため訴を提起すべく準備中であるが債権者はわずかに三反位の田畑を耕作して細々と生活していたものであるから右費用の支払能力がなく、右費用の支出のためには右田畑を手放す外に方法がないから本案判決の確定まで右費用の支払を受けられないときは回復し難い損害を蒙ることとなる。よつて債権者は当庁に対し「債務者は債権者に対し別表一記載の各日に同記載の各金員を仮に支払わなければならない。」旨の仮処分命令の申請をなしたところ同裁判所は昭和三八年六月五日その旨の仮処分決定をなした。右仮処分決定は正当であり、なお維持の必要がある。

六、本件仮処分は仮差押と異なり所謂仮の地位を定める仮処分であつて将来の執行保全の処分ではなく、現在の債権者の著しい損害を避け又は急迫な強暴を防ぐため一時暫定的措置によつて権利関係を形成し本案の確定判決があるまでこれを維持し又は実現せしめるものであつて単に保証を提供することによつて取消し得るものではない。

七、債務者主張の特別事情は否認する。債権者は前記の如く本件仮処分による金員の支払を受けなければ安んじて治療を受けられず家庭生活も破壊され重大な危険にさらされることとなる。事後における金銭的保証をもつてこれを償うことはできないものである。一方債務者は県内における最も大きな交通会社であつて債権者に治療費を支払つたのみでは著しい損害を蒙ることはない。特別事情ありとするためには債務者の蒙る損害が異常なものでなければならず、債権者が仮処分取消によつて蒙る損害と債務者が仮処分の継続によつて蒙る損害とを対比して判断すべきである。したがつて本件について特別事情は存在しない。

八、債務者の第五項の主張は否認する。」と述べた。疏明<省略>

債務者訴訟代理人は「本件について昭和三八年六月五日当裁判所がなした仮処分決定はこれを取消す。債権者の本件仮処分命令の申請はこれを却下する。」予備的申立として「右仮処分決定は債務者に保証を立てることを条件としてこれを取消す。」第二次の予備的申立として「右仮処分決定は債務者に保証を立てることを条件として右決定の執行を停止する。」との判決を求め、その理由として、

「一、債権者は当庁に対し債権者主張の如き仮処分命令の申請をなし同裁判所は昭和三八年六月五日「債務者は債権者に対し別表一記載の各日に同記載の各金員を仮に支払わなければならない。」旨の仮処分決定をなし、右決定は同月一〇日債務者に送達された。

二、しかしながら本件事故は債権者の重大な過失により生じたものであつて債務者の運転者三浦敏道及び車掌大下よし子には過失がない。即ち本件事故は停留所以外の場所で発生したものであつて、本件加害自動車が本件事故現場において故障のため同所に停車中のバスと擦違いのため一旦停車し発進した際惹起したものであるところ、本件加害自動車は右擦違いに際しては自車の左側面は人の通行する余地は殆んどなく、これがため通行者は附近の人家の入口附近の軒下に退避していたため、本件加害自動車の運転者三浦敏道及び車掌大下よし子はその退避状況を確認し前記故障車との擦違いのための安全を確認し最徐行で進行中突如債権者が側面より飛び出して来て顛倒したため停車することも注意を与える余裕もなく本件事故を惹起したものである。したがつて本件事故について本件加害自動車の運転者三浦敏道及び車掌大下よし子には何等の過失がなく、債務者には賠償の責任はない。

なお右擦違いのため最徐行中本件加害自動車の乗車口の扉が開かれていたことは認めるが、それは車掌大下よし子が自車側面の安全を確認するため開いていたものである。

三、仮りに債務者に賠償の責任ありとしても本件仮処分によつて保全さるべき権利は金銭的補償によつて満足されるべきものであつて他に保全の目的は存しないのであるから仮差押の全規定が準用されるべく債務者において相当の保証を立てることにより該決定の取消を求める。

四、予備的に特別事情による取消を求める。本件仮処分は仮に金銭の支払を求める所謂断行の仮処分であるから債務者が将来受くべき損害の虞の有無について考慮さるべきである。ところで債権者の申立及び疏明によれば債権者は殆んど無資力であるから債務者が本案訴訟に勝訴の判決を得た場合回復し難い損害を蒙ること明らかである。よつて債務者において相当の保証を立てることにより該決定の取消を求める。

五、本件仮処分は仮処分本来の使命である権利保全のためにする仮の緊急処置たる範囲を逸脱し、該決定には債権者に保証又は担保を供せしめていない。よつて債務者は前記の如く回復し難い損害を蒙る虞があるから民事訴訟法第五〇〇条の立法精神に照らし、同条及び同法第五一二条を類推適用して該決定の執行を停止さるべきである。」と述べた。

疏明<省略>

理由

一、債権者が当裁判所に対し債権者主張の如き仮処分命令の申請をなし同裁判所は昭和三八年六月五日「債務者は債権者に対し別表一記載の各日に同記載の各金員を仮に支払わなければならない。」旨の仮処分決定をなしたことは当事者間に争いがない。

二、まず債務者に本件事故による賠償責任ありや否やについて判断する。

証人永原邦伸の証言により成立の認められる疏甲第二号証、成立に争のない疏甲第三、第七号証、証人三浦敏道の証言により成立の認められる疏乙第一号証並びに証人中沢英一の証言及び証人永原邦伸、太田一記、三浦敏道、木下よし子の各証言の一部(いずれも後記措信しない部分を除く)を綜合すると債務者は本件加害自動車の保有者であること、申立外三浦敏道が自動車運転者として、申立外大下よし子が同車掌として債務者に傭われそれぞれ勤務しているものであること、右運転者三浦敏道は車掌大下よし子と共に昭和三八年五月三〇日午後六時一〇分塩尻営業所発西条行の本件加害自動車に乗車しこれを運転して同日午後六時一五分頃本件事故現場を中原方面に向つて進行中同所において該道路の進行方向に向つて右側に債務者会社の仲町行バスが故障のため停車していたのでこれと擦違うため右故障バスの前部と本件加害自動車の前部が接する状態で一旦停車したこと、本件事故現場は幅員五・九米のコンクリート舖装道路であつて歩車道の区別がなく、該道路の両端には幅〇・三米の側溝があること、右故障バスと本件加害自動車の幅はいずれも二・四五米であり両車の擦違いは容易でなかつたこと、右三浦敏道は本件加害自動車を一旦停車した後右故障バスの運転者と二言、三言言葉を交していたこと、その間に債権者は本件加害自動車の前面より乗車口に接近し乗車したい旨申し出ていたこと、右運転者三浦敏道及び車掌大下よし子はこれに全く気付かなかつたこと、右三浦敏道が本件加害自動車を右故障バスと擦違いのため発進させるに際し本件加害自動車の右側面に気を奪われ左側面バツクミラー等によつて確認しその安全を充分注意しなかつたこと、また車掌大下よし子は本件加害自動車が発進を始めたときは未だ運転台附近におり左側面の安全を確認していなかつたこと、これがため乗車口附近に佇立していた債権者は本件加害自動車の発進に伴いその左側面に接触してその場に顛倒し左後輪に轢かれて債権者主張の如き傷害を蒙つたことが疏明される。右認定に反する証人永原邦伸、太田一記、三浦敏道、大下よし子の各証言部分及び疏甲第一号証中小松一布の供述部分、疏甲第二号証中永原邦伸の供述部分、疏甲第七号証中小松とし子の供述部分はいずれも措信しない。

右事実によれば本件加害自動車の運転者は本件事故現場において前記故障バスと擦違いのため一旦停車し離合のため発進するに際しては両車の距離間隔、自車の速度に留意するは勿論本件加害自動車の左側側面の状態について細心の注意を払うべく、バツクミラー等によつてその安全を確認し或いは車掌をしてその安全を確認せしめ、もし自動車の左側面に人が接近しているときはこれを退避せしめる等適宣の措置をとり危険の発生を未然に防止すべき義務があり、また車掌は右発進に際してはその左側面の安全を確認してから発車の合図をなすべくその側面に人が接近しているときはこれを退避せしめる等適宣の措置をとり危険の発生を未然に防止すべき義務があるところこれを怠り左側面の安全を確認することなく漫然本件加害自動車を発進せしめたため本件事故を惹起したものであつて、右運転者三浦敏道及び車掌大下よし子の過失に基くこと明らかである。

しからば債務者は自動車損害賠償保障法第三条に所謂自己のため自動車を運行の用に供する者として債権者が本件事故の結果身体を害されたことによつて蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

三、次に債権者の損害の額について判断するに成立に争のない疏甲第四、第七号証並びに証人小松一布、小松佳子の各証言によると債権者は前記傷害により昭和三八年五月三〇日以降塩尻市塩尻病院に入院治療中であつて約五ケ月を経過した現在なお退院の見通しもなく治療中である。債権者は右治療のため少くとも別表二記載のとおり入院治療費等の出費を余儀なくされていることが疏明される。よつて右出費は本件事故により債権者の蒙つた損害と謂うべきである。

四、次に本件仮処分の必要性について判断する。本件仮処分は債務者に対し金員の仮の支払を命ずる所謂仮の地位を定める仮処分であるが、該仮処分の必要性の認定は債権者が本件仮処分をしないことによつて蒙る損害と債務者が本件仮処分によつて蒙る損害との比較により相対的に決定すべきところ、成立に争いのない疏甲第七号証、証人小松一布、小松佳子の各証言によると債権者は田二反歩位と畑三反歩位を耕作して生活しているものであるが、生計を共にしている債権者の長男小松一布が大工見習として得る収入を併せても前記入院治療費の支払能力は充分でなく、右入院治療費の支払を受けられないときは右田畑を手離す外なくこれがため家庭生活を破壊され将来回復し難い損害を蒙る虞があることが疏明される。一方債務者は長野県内における有数の交通会社であることは当裁判所に顕著なところであり、本件仮処分を維持されることにより異常な損害を蒙る特段の事情も認められない。右の事実によれば本件仮処分により債務者が将来本案訴訟に勝訴するときは或る程度の損害を蒙ることが想像できるけれども債権者が本件仮処分を取消されることによつて蒙る損害に比べればとるに足らないものと謂わなければならない。よつて本件仮処分については必要性が存するものと認定する。

五、次に債務者は本件仮処分により保全される権利は金銭的補償により満足すべき場合であるから仮差押の全規定を準用して債務者に相当の保証を立てることにより取消さるべきであると主張するので判断する。民訴第七五九条は特別の事情あるときに限り保証を立てしめて仮処分の取消を許しているのであつて、この法意に鑑みれば仮処分は特別の事情ある場合に限り保証を立てしめて取消を許すことができるけれども特別の事情の存しない場合にはたとえ保証を立てしめても取消を許し得ないものと解すべく、仮差押に関する民事訴訟法第七四五条、第七四七条第一項の規定は明かに同法第七五六条但書により仮処分に準用し得ないものと謂うべきである。よつてこの点の主張は採用しない。

六、次に債務者は特別事情による本件仮処分の取消を求めるので判断する。本件仮処分は債務者に対し仮に金員の支払を求める所謂仮の地位を定める仮処分であるが該仮処分によつて保全せられる権利が金銭的補償によつてその終局の目的を達し得るかどうかは本案訴訟における請求の内容及び当該仮処分の目的、債権者、債務者の利害等諸般の事情を考慮して客観的に判断すべきである。ところで債権者の本案訴訟における請求の内容が金銭的補償によつて終局の目的を達し得るものであることは債権者の主張自体より明らかであるけれども前記第四項において認定した事実によれば債権者は本件仮処分による金員の支払を得られないときは回復し難い損害を蒙る虞があることが疏明され、一方債務者が本件仮処分を維持されることによつて通常甘受しなければならない損害に比し異常に大きな損害を蒙る特段の事情も認められない。しからば本件仮処分の目的、債権者、債務者双方の利害等諸般の事情を考慮すると本件仮処分によつて保全する権利は結局金銭的補償を受けることによつてその終局の目的を達することができないと認めるのが相当である。よつてこの点の主張は採用しない。

七、債務者は本件仮処分の執行につき民事訴訟法第五〇〇条の立法精神に照し同条及び第五一二条の規定を類推適用してその執行の停止を求めると主張するので判断する。

仮処分決定に対し異議の申立があつたことを事由として、その異議の裁判あるまで民事訴訟法第五一二条を準用して簡易にその執行の停止を求め得るものとすれば、本来権利保全のためにする緊急措置を講ずることを内容とする仮処分は、その執行を停止されることにより仮処分の裁判そのものを取消されたのとほぼ同一の結果を招来し、緊急措置たる効果を阻害されるに至り、仮処分制度による保護の目的を滅却することとなるから、「原則として仮処分の執行につき右民事訴訟法第五一二条を準用すべきものではなく、例外として仮処分の内容が権利保全の範囲を逸脱し若しくはその執行により債務者に対し回復することのできない損害を蒙らしめる虞がある場合にはその執行は実質上終局的執行のなされた場合と何等えらぶところはないからこの場合においてのみ民事訴訟法第五一二条を準用する必要あるものといわざるを得ない」ことは債務者引用の最高裁判所昭和二五年九月二五日大法廷決定の判示するところである。

ところで本件仮処分の内容は債務者に対し金員の仮の支払を命ずる所謂仮の地位を定める仮処分であるが、債権者の本案訴訟の請求は不法行為のため負傷したことにより蒙つた治療費等の賠償を求める権利であつて一回の給付によつて終局的満足を得られる金銭債権であることは債権者の主張自体より明らかであるけれども前記第四項において認定した事実によれば債権者は本案仮処分による金員の支払を得られないときは治療に重大な支障を来たし即時に保護すべき必要が認められるから本件仮処分の内容が直に権利保全のためにする緊急措置たる範囲を逸脱しているものとは認め難く、本件仮処分の執行を停止しないことによつて債務者が回復し難い損害を蒙る点については何等の疏明がない。よつてこの点の主張は採用しない。

八、しからば本件仮処分決定は相当であるからこれを認可すべく、債務者の異議申立はその理由なきものといわなければならない。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 新海順次)

別表(一)、別表(二)<省略>

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